オピニオン

悩みに悩んで大手メーカーを退職した

2018年3月31日に死ぬほど悩んで新卒で入社した大手メーカーを退職しました。
約4年ほど働いて新たな道に進むことになります。
いざ辞めるとなって改めて思うのは、自分がいた会社って本当に凄いなってこと。
日本の製造業が苦しんでる中、業績があまり崩れることがなく、日経企業の時価総額ランキングでも上位に入り続けている。

もちろん、変化が激しい時代の最中、この先どうなるかわからない。
わからないけど、それでも人並みに給料を貰って、ワークライフバランスが整った安定的な人生をおくれる可能性が高い道でした。

そんな会社を辞めました。
でもその決断は簡単なことではなく、悩みに悩んで、悩み抜いた決断です。
この私の決断の内容が、終身雇用が終わりを告げて一人一人が自分のキャリアをしっかりと考える必要がある時代の中、あなたのキャリア観に少しでも参考になれば嬉しいです

この記事では、

・大手メーカーで私が体験した仕事
・なぜ仕事を辞めるのか
・これからの進路
・転職が当たり前になる中で、個人的に感じる『大切な考え方』

を書いていきたいと思います。

大手メーカーで経験した仕事

私が主に経験した仕事は「新規事業の商品企画」でした。
『最先端の技術を世の中に広めたい!』という思いで就活していた私にとって、この会社は正にドンピシャでした。

入社前から新規事業を熱望し、希望通りの配属にさせてもらったのは本当に有り難かった。
もちろん大企業特有の根回しやつまらない事務処理はあったけど、市場のニーズを汲み取って新しい商品を企画することは時間を忘れるくらいやりがいを感じました
ふとしたときに開発部隊から「新機能できたよー!ちょっと体験して!」みたいな声掛けを貰い、今までにない体験をできるのが最高に楽しかったんですよね。

商品企画として、顧客が喜ぶ新技術のユースケースを妄想する日々。
日進月歩に進化していく技術に私は虜になっていました。 

そして、何よりも感謝しているのは、各事業部のエース級人材がこの事業部に集まっていて、猛烈に尊敬できる人ばっかりだったこと。
特に僕の教育を担当してくれた先輩社員は、人間性が信じられないくらい良くて、社内でも異例のスピード出世した人でした。
その人の下、本当に成長しまくっていた時期だったと思います。

「仕事へのやりがい」と「周りの人のレベルの高さ」。
この2つにおいて充実しまくっていた期間でした。

なぜ辞めるのか

きっかけは事業部の縮小

僕にとっては仕事にやりがいを感じる最高な環境でしたが、いかんせん事業部の業績は全然だめでした。
2014年に事業部化し、2020年には黒字化する経営計画を描いてましたが、思った以上に結果がでず、2017年には一年間で3度の事業部縮小を経験。
3度目の事業部縮小は事実上の事業部撤退となりました。

これは本当に経験した人にしか分からないと思うんですが、先行きが真っ暗の中で仕事に邁進するのって本当に辛いんです。
みんなが「明日はどこで仕事してるんだろう・・・」と悩み、「このままこの会社に居て良いのか」と自分の仕事に自信を持てない状況が続くと生きる気力が失われてしまうんですよね。

望んだ仕事内容に没頭し、尊敬できる人に囲まれた3年間でしたが、最後の方は本当にキツかった、、、、
キャリアを積んで実力のある30-40代はもちろん、管理職の50代の人達も「いつ自分が他部署に飛ばされるか」を怯えていてかなり堪えました。

仕事において結果を出せないことの辛さを初めて実感した時です。
成果を出せないと、その人のキャリアや人生を狂わせると。

ただ、ここから先の展開はもっともっと苦しかったのです。

干された人がいた

事実上の事業部撤退となった結果、多くの人が干されたんです。
以前からこの会社は縦割りの文化が強く、最初からその事業部に配属されてキャリアを積んでいることが大事でした。
なので、途中から他事業部から異動すると、大概は冷遇されるんです。
更に、この時はちょうど会社の業績も悪化して人件費を抑えたい状況だったので、人を増やすことに抵抗感を示す事業部が多かった。
そんな中、新規事業部に配属していた180名が様々な部署に異動するわけですから、招かざる客な訳です。

印象的だったのは、開発部でバリバリやっていた30代後半の実力者は、地方の工場に異動し、たまたまランチした時に「入社3年目の仕事をしていて、仕事辞めたい」といって嘆いていたこと。
いつも自信満々で働いて、上司に噛みつくことも厭わなかった彼が「転職するか、このままブラサガリーマンするか悩むわ〜」と萎れた姿を見た時は胸が苦しくなりました。

ただ、僕も例外ではありませんでした。

僕の移動先は管理部門でした。
15人中10人が60歳オーバーの再雇用者。
いわゆる他の部から「お役御免」とされた人たちが異動してくる課でした。

仕事内容はドが付くほどのルーティーンワークで、システム入力や輸出書類の作成をひたすら繰り返すこと。
企画系の仕事にやりがいを感じ、優秀な人々に囲まれていた環境だったのが、ルーティンワーク系の仕事になり、定年後のモチベーションの低い人達に囲まれました。

正直言って、苦痛でしかなかったです。
『この悔しさをバネに次の仕事は絶対成功したい』と思っていたからこそ、この環境の変化に気持ちがついていけませんでした。

その部署の部長からは、「この課の業務は独特なノウハウが必要だけど、ほとんどが年配者だから若返りを図りたい。この事業部にはじめての君は修行だと思って頑張ってくれ。その後、事業企画とかへの異動を考えている」と言い渡されました。

実際に2年目の若手や20年ぶりに新卒社員をこの課に配属させようとしていました。
だから干されたという表現は正確には違うかもしれません。
けど、当時の僕はそう強く感じました。

僕は配属した初日で転職を決意しました。
新規事業の商品企画を経験していたから、簡単にどっか受かるだろうと思っていました。

しかし、転職活動が全くうまくいかなかったのです。

面接を受けても受けても、落とされる日々。
応募企業数だけが積み上がり、15社にも及びました。
就活時は15社受ければ、内定を2〜3個もらえたので、ありえない感覚に陥りました。

「何で受からないのか」「自分に価値がないのか」「今までの仕事は何だったのか」

思わず、そういった無念な思いが心の中に込み上げてくる日々でした。
そのストレスは半端なく、体重が1ヶ月で6kg落ちました。
今思うと、かなり負のオーラが漂ってたと思います。

大きなきっかけは、前事業部で仲良くさせてもらっていた若手課長でした。
「久しぶりに飲もうよ!」と言ってくれて、ひたすら現況の愚痴を吐いていたら、「めっちゃかっこ悪いね。今の環境を悪くいうのは本当に簡単なんだよ。でもそれを乗り越えていくのがかっこいいと俺は思うけどね」

と叱責されたんです。
最初は、「味わってないくせに何いってんだよ」と苛つきましたが、次第に「自分は今目の前の仕事から逃げているな」と思うようになり、心を改めてこの課の仕事に取り組むことにしたんですね。

人間不思議なもので、こう覚悟して取り組むと状況が好転していくんです。
1年4ヶ月ほど頑張ったら大分仕事もマスターできて、コスト削減の提案もできるようになっていました。
そして、何より周りの人たちと深い信頼関係を築くことができました。
何もかも不満で苛ついてばかりだった異動当初に比べて大きな成長でした。

そして、仕事への苦手意識がなくなった後、また転職を思い立ち活動を開始。
詳細は、また別の記事に書きますが、この転職活動はすごく上手く物事が進みました。

これからの進路

転職活動は、IT系、メーカー、ベンチャー、コンサルなど色々受け、結果コンサルにいくことにしました。

なぜか。
次は事業化を自分の手で成功させたいと思ったからです。
新規事業を立ち上げることのやりがい・楽しさは何にも変えがたいものでした。

でも、黒字化に貢献することができず、とても悔しい経験をしました。
自分のやりたいことでも利益を出さなければ全く意味がないことを思い知らされました。
次は、黒字化に貢献できるようになりたい。

ベンチャーへ行くか迷いましたが、大手企業でも事業部化を失敗したら嫌な目にあったのに、もしベンチャーで失敗したらどんな目に遭うのかと考えるとすごーく怖い気持ちもあったんです。
さらに、3年程度の経験では、ベンチャーを受けても自分がまだポテンシャル採用です。
即戦力になれない自分の実力不足を重々承知していました。

だとしたら、困難な道だけど1回コンサルを経由して、なんとか数年生き残ればキャリアをリスクヘッジすることができるし、上手くいけばベンチャーへも裁量権を持って参入できると考えました。

なので、コンサルからベンチャーへのパスにチャレンジした方がいいと感じたのです。

カッコよく聞こえるかもしれないですが、辞めてやる!と思いたって転職活動をしたくせにいざ転職をするとなるとかなり悩みました
このままこの会社で腕を磨いて40歳くらいに再チャレンジする道や安定してのうのうと生きていくほうがいいんじゃないかなど、答えのない問いに悩みに悩みました。

でも最後は、「もっとチャレンジングな仕事に挑みたい!」という気持ちが上回りました。
だったら、いつ次にチャンスを貰えるか分からない大企業で我慢するより、能動的にチャンスを掴みにいきたいと思いました。

この決断は正しかったのかどうかはわからないです。
でも、どんな答えでも悩みに悩んで自分で出したのなら、それは正解だと思うのです。  

転職する上での考え方

僕も転職を決断したわけだが、同じく異動した人で転職をした人がいました。
前述した地方の工場に飛ばされてブラサガリーマンするか悩んだ人は結局、外資トップメーカーに転職しました。
この前会った時は見間違えるほど自信満々の顔つきをしていて仕事は人を創るなと深く感じましたね。

でも、メーカー時代よりも白髪が少し増えていたのを見ると、想像以上のプレッシャーにさらされているのだと思います。

この新規事業の部署からは結局、多くの人が転職しましたが、成功した人ばかりではありません。
他の人は、大手日系メーカーやベンチャーに転職しましたが、体育会系気質の企業文化に馴染めず、元に戻りたいと嘆いていた人もいます。
転職して成功する人もいればもちろん失敗する人もいるのです。
それも、長期的視野に立ったらどっちが正しいかなんて分からないですよね。

色々な人のキャリアを見て思うに、「転職することは成功でもなんでもない」ということです。
転職した後の自分のキャリアをどう意味づけし、有意義にさせるかがより重要なのだとこの経験を通して学びました。

僕も新しいキャリアを築くことになったわけなので、後悔のないよう精一杯頑張っていきたいと思います。

  • この記事を書いた人

ドラゴン晋作

『面白くしたもん勝ち』が信条の外資戦略コンサルタント / 20代のキャリアの考え方について発信します /【経歴】新卒でメーカーの新規事業開発▶事業部が撤退し干される▶転職活動で20社落ち▶1年間闇練しリベンジ達成 /【実績】 メーカー+丸紅/富士フィルムに内定 外コン/リクルートに内定 Sony/Googleは最終面接

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